秋葉原グッドマンでいちばん酒を飲んだのは、もしかしたら私かもしれない

22~3歳の頃のことだ。
岩手から上京した妹が占いに行きたいと言うので、付き添いの私も手相だか何だかを占ってもらった。占い師は色々なことを好き勝手に言った後、最後のほうで「お金になるようなことはないかもしれないけど、あなたは音楽を続けたほうがいい」と言った。
それを真に受けたかどうかは置いておいて、何やかんやと今の今まで一応音楽を続けてこられたのは、占い師のその一言のせいではなく、秋葉原グッドマンがあったからなのだろうと今になって思う。

初めて出演したのは2002年のことだった。 そのとき私はまだ大学生で、音楽サークルで組んだバンドを率いて新宿や渋谷でライブをしていた。そろそろ下北沢のライブハウスにも…なんて思っていたある日、新宿JAMのブッキングの人に「秋葉原にいいライブハウスがあるみたいだから、出てみたら?」と勧められ、グッドマンを知った。

「どうして秋葉原なんて、へんぴなところにあるライブハウスに出なければならないのか…」

12歳のときにブルーハーツに撃ち抜かれてバンドマンになると決め、「バンドをやるには東京に行くしかない、東京の大学に行くと言えば上京する理由になるだろう」と思いながら中高6年間はバスケットボール部の補欠の補欠という冴えない青春を過ごし、なんとかとある大学に引っかかって上京、入った大学の音楽サークルで見事6年越しの夢を叶えた田舎娘は、まず第一にそう思った。当時の私にとって、新宿や渋谷とは違って秋葉原は紛れもなく「へんぴなところ」だったから。

新宿JAMが自分の桃源郷だと信じていた当時の私は、そんな風に悶々としながらデモテープを片手にグッドマンの 戸を叩く。実際は、当時のブッキングだったPANICSMILEの吉田さんがあの受付カウンターにいて、「あのう、すみません、よかったらこれ、ヨロシクオネガイシマス・・・」などと言いながらおずおずとデモテープを渡した。道がYの字のように二股に分かれていて、どちらかに進むことで全く別の結果になるという「大きなY」が人生には何度か出現する。間違いなくこの瞬間がそのYだった。

あれからもう18年が経つ。

数えてみたら、私がグッドマンでライブをしたのは合計で134回。「たったのそれだけだったのか」というのが正直なところだし、ドラびでおの一楽さんが「グッドマンで15年間、400回のライブをした」とおっしゃっていて、とても敵わないな…と感じたが、自分が客として行った日などを含めれば、通算500日以上 はグッドマンにいたのではないかと思う。遠方にいて通えない時期もあったが、人生の約半分近くグッドマンに関わって生きてきた。

そうして重ねてきた夜の中で、私はたくさんの酒を飲んだ。ステージドリンクはもちろん、客として行った時もためらわずに飲んだ。自分のイベントである「スナックどんぞこ」では毎回ステージをスナック仕様にしてもらって、ママなのにいつもお決まりのように脳天からつま先まで泥酔した。バンドが10周年のときのイベントではグッドマンがサプライズで用意してくれた鏡割りをさせてもらったり、いつかの大晦日ではかっぱ橋で買った赤くてでっかい盃で酒を流し込みながらカウントダウンをしたりした。そうこうしているうちにグッドマンで対バンしたバンドのひょろ長いベーシストと結婚することになり、当然のように結婚パーティーまでさせてもらった。その日も浴びるほど飲んで、白いドレスでバリバリ演奏をして、気がついたらステージの上で爆睡していたけれど。秋葉原グッドマンでいちばん酒を飲んだのは、もしかしたら私かもしれない。少なくとも、私にとって人生でいちばん酒を飲んだ場所、それは間違いなくグッドマンだ。

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いつも「あそこに行けば」と思っていた。田舎に帰ってバンドを長い間休んでいるときも、アメリカでベビーシッターをしているときも、グッドマンのステージから見る風景がいつも胸の中にあった。上司に毎日のように叱責されているときはステージで転げまわっている自分の姿を想像した。どんなに辛いことがあっても、「あそこに行けば」という思いがあるだけですべての嫌なことがどうでもいいことに変換された。
あそこに行けば、大好きな人たちに会える。
あそこに行けば、大海原を轟かせるような音を出せる。
あそこに行けば、自分のことを認めてもらえる。
あそこに行けば、美味い酒を飲みながら大きな声で笑って明日を迎えられる。

18年間いつもそう思いながら過ごしてきた。

これからは「あそこに行けば」という部分が「いつかきっとまたあそこで」になる。音楽やバンドを続ける選択をするのがいかにものすごいことなのかを身にしみて感じる今、風のように軽やかに年をとりながら、そう思い続けて生きていく。

 

秋葉原グッドマンがいかに素晴らしい場所なのかということは、申し訳ないが割愛することにする。グッドマンはステージもフロアも楽屋もトイレもすべての場所がいつもきれいで、いかにバンドマンにとっても客にとっても居心地がよいように保たれているか、いかにブッキングの方が真摯にバンドの成長を見守りながらライブの度に金言のようなアドバイスをくれるか、あの受付のカウンターにあるデカいスケジュールカレンダーをぼんやりと眺めながらブッキングの方とよもやま話をするのがいかに愉快で貴重なことであるか、いかにPAや照明スタッフの方たちがバンドに寄り添ってライブに関わってくれているか、それはまるでスタッフとバンドマンという関係ではなくてまるで全員バンドメンバーみたいであることとか(余談だが私のバンドは無駄に変拍子が多くて、初めて出るライブハウスでは照明のタイミングが合うことはまず無いが、グッドマンではそれが完璧なのだ。変拍子で爆音の曲ばかりなのに実は歌モノという性質もあり、本当は歌を聞かせるサウンドにしてほしいPA泣かせのバンドだという自負があるが、グッドマンのPA表には「お任せします♡」の一言しか書かない)、グッドマンのバーはその辺のバーなんかよりずっと飲酒欲求を掻き立てられて、その辺の居酒屋なんかよりずっとお酒が美味しくて種類も豊富で、乾物だけではなくてホットスナックもあって、ソフトドリンクを注文するとドリンクチケットをもう1枚くれて、カルピスを牛乳で割るやつがあって、カウンターの向こうににいるスタッフの方は私のためにお酒やグラスを冷蔵庫で冷やしてくれて、「いつものをお願いします…」と言うと寿司屋のあがりで出てくる魚編の漢字がズラリと書かれたでかい湯飲みに並々と注がれた極上の日本酒を出してくれて、私が作った特製の枡を大切に取っておいてくれてお酒を注いでくれることとか、

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秋葉原グッドマンがいかに素晴らしい場所なのかということは、ここには書ききれないので、申し訳ないが割愛する。

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